戦時下のキャメル
 
1940年代に入り、戦火はヨーロッパに広がります。アメリカは公式には中立の立場をとっていたものの、最悪の事態は覚悟していました。真珠湾攻撃を受けてついに参戦に踏み切るわけですが、圧政から世界を救うという決意には並々ならぬものがありました。キャメルのブランドイメージは、この世界大戦と密接に結びついていきます。トップブランドに返り咲き、アメリカの新たな自信と力のシンボルとして、あのキャッチフレーズ「キャメルのためなら1マイルでも歩く」を再び登場させる時代がやってきたのです。
キャメルとアメリカンスピリットの結びつきは、あるフランス人ジャーナリストがタイムズスクエアについて書いた記事によって世界に知れ渡ります。「・・・キャメルの広告看板に水夫の顔が描かれ、その口から10秒おきに煙の輪が吐き出されている。風がない時、それらの煙の輪は、その一画の真中に、置かれた小型版の自由の女神像ー手には電気のたいまつ、頭には電気の冠ーの方へぷかぷかと流れていく」されにまた、フランクリン・D・ルーズベルトは実際にキャメルを吸っていて、それはマスコミにも大衆にも周知の事実でした。
 
戦時中、キャメルは有名なキャッチフレーズが再登場、アメリカ人を勇気づけた。
タバコは兵士たちのミッションに欠かせない必需品だった。
アメリカ人兵士は本国の友人や親戚からタバコを送ってもらい
「故郷の味」を楽しんだ。
キャメルはいつでもうれしい贈り物。
1941年、タイムズスクエアのキャメル広告看板。
 
 
戦時下とあって、広告とプロパガンダは手に手を携えていました。タバコの広告は兵士の勇気を鼓舞し、かれらの功績を称え、勝利を目指すかれらの奮闘を繰り返し語ります。

広告は、国民のモラルと勇気を維持することに貢献したのです。”First on land and sea"(陸軍でも海軍でも一番人気)、"First in the service"(軍隊で一番人気)などのキャッチフレーズのもと婦人部隊を含めてあらゆる部隊がキャメルの広告に登場しました。タバコは兵士たちのミッションに欠かせない必需品として描写されています。広告はまた ”First at home"(本国で一番)といったキャッチフレーズにより、本国で勝利を後押しする多くの国民に向けてもキャメルは重要なものであることを表現したのです。
 
彼が帰ってきた・・・ハッドン・サンドブロム作「帰還」。カンヴァスに油彩、1945年。
あらゆる部隊がキャメルの広告に登場した。
ポスター、オフセット印刷。
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